都内在住の40代サラリーマン。 働き盛りの38歳に、人間ドックで突然胃がんを宣告される。 6時間のおよぶ大手術の末の2/3を摘出し、胃がんを克服。 以後人生感が180度変わり”自分が一番やりたいことを、全力でやる!”を座右の銘にして日々全力投球(でもたまにサボる日もアリ) そんな自分が今夢中になっていることを書こうと慣れないブログと格闘中。。
スペック
【居住歴】愛媛、広島、東京、オーストラリア、アメリカ、ベトナム、フィリピン、インドネシア
【家族】妻一人、育ち盛りの娘二人、他に妻の家族と同居中(いわゆるマスオさん)
【特徴】外国人とよく間違えられる
背は高い(182cm)が、実は牛乳が飲めない&肉も苦手というギャップ!
【趣味】食べる事、ドライブ、DIY
【食の好み】魚と野菜とうどんが大好き、お酒も大好きで、一押しは”タンカレーNo.10”
【将来の夢】働かずに、海辺か湖畔の家でのーんびり過ごすこと
生い立ち
愛媛県にて生を受ける。芸術家の父と教師の母親の元に生まれ、自由奔放に育った一人っ子。
幼少期は個性を出せという親vs出る杭を打つ周りとの狭間に落ちてしまい、イジメられっ子で肩身が狭い日々を過ごす。イジメられたくない=平和主義の構図故、ケンカは苦手だし、スポーツが得意なわけでもなく、目立たない学生時代を過ごす。
外の世界を知る
旅行好きの両親に連れられ、小学校5年生で、初の海外渡航(西ドイツ、スイス、フランス)を経験。違う民族、違う文化に触れ、海外の魅力に取りつかれる。その思いは海外に行く度に強くなるが、言語となると英語はからっきしダメで、、大学センター試験模試では40点台をうろうろし英語以外で私立大に滑り込む。
大学で所属したゼミの先生の「英語は必須!、でも社会に出たら英語を勉強する時間は無いので、勉強するなら今しかない留学せよ!」という言葉を真に受け、両親から資金援助を取り付けオーストラリアのド田舎で、日本人がほぼいない大学へ1年間留学することに。
オーストラリアではホームステイで1年間日本語禁止のスパルタで、英語のイロハをマスター。
仕事人間
オーストラリアから帰国してみたら、日本は就職氷河期の嵐が吹き荒れてまくりで、採用そのものがない会社ばかり焦り、なんとか内定をもらった会社に早々に入社を決意。
リストラされないようにガムシャラに働いていると、縁が巡ってきて海外勤務の願いが通り20代の3年間をアメリカで過ごす。アメリカ時代も含め、優先順位は「仕事>休み」で、ほとんど休みらしい休みを取らずに仕事に没頭。自分では仕事が嫌いなはずなのに、気が付くと仕事を頑張っている自分がいる、そんな違和感を感じながら、社会人生活の15年を仕事人間で突っ走る。
身体からの警告
そんな仕事人間まっしぐらで、仕事の裁量も増えて仕事も楽しくなってきた30代後半、毎年受けている人間ドックで、いつもは適当な先生が血相を変えて飛んできて、強制再検査となり、人生で初めて胃カメラを嘔吐きながら飲む。組織検査の結果は、胃ガン。ガン宣告をうけた人はショックを受けるというのはドラマではよくある話だが、自分が実際にガン宣告を受けてみると、意外と平気なものである(というか自分事と実感できないだけであるが、笑)。
でも、いろんな偶然が重なり、日本を代表する病院で、胃がんの手術第一人者の先生に、すぐに手術をしていただけ、ガン宣告から1か月後には、既に退院していたという本人以上に周りが驚くスピード対応。胃の2/3を失うも転移はなく、今は日常生活を送れている、これまたご縁である。
第二の人生:仕事人間からの脱却
手術前の説明で受けた、死亡確率8.33%(1/12)という文字で、初めて自分の「死」というものを意識する。これまでは、今の生活がそのまま永遠につづくような感覚で生きていた。が、それは幻想でしかなく、人間いつ死んでもおかしくないという事を身をもって知ったのである。
それからは、①暴飲暴食を避け、②無駄な残業や休日出勤をやめ、③自分の好きなことをに自分の時間を使うことを心がけている。いつ死んでも悔いが残らないように、今まで何時かやろうと思っていた事をリスト化して、一つ一つ実現させていっているところである